2020年 12月 25日
群馬県からの時短要請延長に伴い
2020年 04月 24日
営業時間変更のお知らせ
2018年 12月 22日
戸田恵梨香の話し。ではない。
ちょうどこんな冬の入り口の日だったと思う。僕たち6人がお互い避けるようになり、やがて目もあわさなくなったのは。
あれ以来、僕は彼らと赤の他人になった。もう27年も会っていない。
いきなりだが。
「性」というものの不可思議さについて、きっちりとここで話そうと思う。
だが性への目覚めについては話すつもりはない。性に目覚めた瞬間のことはあまり覚えていないからだ。自覚的じゃなかった。気づいたら性に目覚めていた。これを読んでいる男性諸君と同じく、来る日も来る日もどっぷりだった。
(これから書く内容はもしかしたら、人によっては著しく気分を害される方もおられる恐れありますゆえ、そういう方はすみやかにスマホ・デスクトップを閉じてくだされるがよろし)
-リヴァプール編-
まず、ことの始まりは1991年。小学六年生のときだ。
もうすでにずっぽりオナニーの仕方を体得していた純矢少年は、胸の奥から沸き上がるどうしようもなき動物的本能に身体が支配され、親が仕事から帰ってくるまでの間に親の寝室に忍び込み、週間ポストや週間宝石や宇宙企画のカタログを見ながら悶絶していた。
射精後は罪悪感ばかりが残って仏壇を見るのが怖くて仕方なかった。
きっちりやることはやっていたのだが、果たしてどうして女の人のおっぱいやお尻を見ると欲情するのかは全くわからなかった。
ある日、保健体育の授業で、先生は「精子」という言葉を使った。
妊娠・出産についてのスピーチをしているとき、山口先生は「精子」という言葉を黒板に大きめに書いた。
せいし。
はしゃぐ奴らがいるなか、僕は口をあんぐりした。
「せいし」と言うのか、あれは。あのネバネバする水は。青天の霹靂であった。
続いて山口先生は、「精子はおたまじゃくしみたいなやつです」と言った。
「顕微鏡で見たら何千匹もウヨウヨ動いているのがわかります」と言った。
僕の頭はまっしろになった。
家に帰ってもボーッとし、高熱が三日続いた。
せいしは生き物。僕の身体の中から生き物。
それから僕は晩御飯が終わると、家族にばれないように卵焼きや豆腐の破片を半ズボンのポケットに詰めて部屋に戻り、射精したあと、卵焼きや豆腐をさらに細かく刻んで、机の上に放たれた精子にあげた。死なないでほしかった。
机の上の白い精子はだんだんと水みたいに透明になり、ネバネバ感もなくなっていく。卵焼きや豆腐はわずかだけど小さくなった気がした。食べてくれたんだと思った。
-小沢健二編-
1992年。中学一年の夏休み。
悪夢のように暑い日だった。
なんぼ餌を与えても精子が成長しないことは既にわかっていた。その辺に関してはもう冷めていた。
カラオケ屋もボーリング場もコンビニも多少はあったが、夜9時を過ぎれば辺り一面まっくらな町。ヤンキーとサセコさんが幅をきかす町。
僕たち6人は勉強会という名目の元に親から宿泊の許可を得、町1番の金持ち・O君の豪邸に集結した。
男子中学生が6人も夜中に集まって、盛り上がらないわけがなかった。
「甘くて飲みやすい」と評判の「紅茶のお酒」をかっくらい、筋肉少女帯のCDを爆音でかけ、好きな女の子の名前を全員でカミングアウトし、酔っぱらってはベランダからゲロを吐き、森高千里を熱唱し、つまみ枝豆の心霊本をまわし読みし、桑田投手の投げマネをし、セメダインを軽く吸い、ムカつくヤンキーを八つ裂きにする漫画を書き、誰が陰毛が長いか勝負をし、ニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックを目茶苦茶に踊った。
やがて深夜になり、疲れと眠気がきて全員が横になっていた。部屋の電気をO君が消した。
そのとき、誰かがつぶやいた。
悪魔の囁きのように、誰かが「フェラチオって気持ちいいのかな」とつぶやいた。
気づくと我々は全裸になっており、上から見るとちょうど円の形になった状態で、無心でお互いのチンコを舐めていた。人間の鎖だった。
待ったナシで時間は過ぎていった。S君はB君の口の中で果てた。B君はY君の口で果てた。Y君は純矢少年の口の中で果てた。
この現象の具体的な理由は今となっては定かではないけども、普段の学校生活においてセックスもフェラチオもしたいけれども6人とも女子と縁がない。でも是非とも体験してみたい。で、手短かなところで僕たちがお互いで、という短絡的な理由、複雑かつ浅ましき事情があったと推測。
僕たちは"これ"を、続けた。
そのうち日が経つと、「こいつのフェラチオはうまい」だの「こいつのチンコは舐め甲斐がある」だの「俺はこいつの隣りがいい」だの事態はますます深刻化の一途をたどった。(当時はもちろん天国への階段ガシガシ登ってる気分❤︎)
二学期。
メンバーがひとり来なくなった。「塾いくから」って。しばらくしてまたひとり。「彼女できた」って。どうみても嘘。
僕たちはそいつらを敵視した。
時おり公民館の図書室でも人間の鎖は遂行された。それを最後にまたひとり消えた。
秋。
3人で鎖つくるのはしんどくなった。
家を貸すO君もなんとなく嫌々なんじゃないかと思い始めた。僕とT君はやがてO君をシカトするようになった。
実は僕たちの方が全員からシカトされてると気づいた頃にはもう遅かった。変な噂も一瞬流れた。
ある日、放課後、部活の帰り、突然僕は恐怖に襲われた。
「実は俺、ホントウにヤバい事をしているんじゃないだろうか」。
どうやらこの世界には「同性愛」というものが存在している。
男どうしでやるという。僕はTのチンコをよく舐めている。
でも、僕はTのこと好きじゃない。僕が好きなのはY子さんだけ。でも僕はTのチンコ舐めて僕も舐められて。
う、う、うわー きもちわるい。きもちわるい。きもちわるい。きもちわるい きもちわるい きもちわるい うわああ
-あすなろ編-
僕はもう39歳。
あいつら、今なにやってるかな。
元気でいるかな。封印したかな。忘れちゃったかな。僕は覚えてるぞ。こんなにこと細かに覚えているぞ。
今度連絡とって会いに行ってみようかな。もちろん鎖のことは触れずに。「久しぶりー」ってなもんで。
5人みんな、こっちにいんのかなー。ひとりずつ会おうかな。ドラゴンボール探すみたいに。神龍でるんじゃねーかな。
なんだかとっても切ないよ。笑えるけど笑えない。
もう二度と戻らない青春の日々。あの精子まみれの日々がまさしく青春だった。まだ性について無自覚だった、奇跡的な時期。もし今同じことを誰かとやってもあの頃のようにはいかないだろう。
ありがとうって言いたい。おまえらの精子、まっずかったけど宝物だよ。まじで。
2018年 10月 29日
焼きそばのれん会
どのくらい彼女と一緒に外にいたのだろう。
「あっ、早川さん!!」
びっくりした。
なぜかあっちもびっくりしていた。
「どうしたの?あれ?違うよね?」と、
バツ悪そうに、"がんばってください"と言われた。
彼女は言い返した。
「ありがとう。そっか。お互いがんばろうね」と僕は答えてコンビニに入った。
彼女はぺこりと頭を下げて、やはり凍えそうな足どりでSANYO後地のPanasonic通り方向へ帰っていった。
彼女が飲みの後の会計中に思った後は。。。
「がんばる」と言った人にはずっと自身をやっててほしい。
やろうがやるまいが、喉こわそうが身体こわそうが、何年たとうが、ずっと自身をやっててほしい。そしたらきっといつか、今日話し聞いたみたいな寒々しい車内のおざきじゃなくて、ライブハウスのなかでのおざき絶対に会えるはずだと思う。
お互い好きな"自分"について夜通し話せると思う。
まあ。
小麦粉はすごい。おざきが思う以上に。